2008年12月 6日 (土)

ボーイズビーアンビシャス(島松沢)最終回

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 ここ島松沢は、寒地稲作発祥の地でもあります。
後に旧島松駅逓所の運営を担った中山久蔵氏が、この場所で明治6年の秋に米を収穫したのが、北海道の米づくりの始まりです。
 水温を一定に保つため相当に苦労したそうです、まさにフロンティアスピリッツですね。

 私の家は、小学校1年まで、隣の恵庭で農業を営んでいました。
ある日、風呂桶いっぱいに、お米がお湯に浸かって居ました。
あの頃は、そうやって米の発芽を促進していたのでしょうね。

大きな不安と希望が見えないな今こそ、ボーイズビーアンビシャスです。

この話をまとめたショートストーリーをご覧いただけます。
「北海道米紀行」(寒地稲作成功130年記念事業実行委員会制作) 
 

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2008年11月21日 (金)

島松沢

ボーイズビーアンビシャスの舞台となった島松沢の島松駅逓所は、今で言う道の駅の様な機能だったんでしょうね。

さて、この建物プロポーションが低くてとてもキレイです。

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それは、木端葺き(コバブキ)の切り妻屋根に依る所が大きいと思います。

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一般的に杮葺き(コケラブキ)と言われています。

桂離宮の様な趣のある日本の建物には欠かせませんが、今の日本の市街地では防火上の規制から使う事が出来ません。

昔の北海道の民家は、同じ木でも薄くて簡素な柾葺き(マサブキ)でした。
欧米のウッドシングルも基本的には同じく、木で葺いた屋根です。
しかし、この厚さでこれだけ重なりの多い手の掛かる屋根は、やはり美しいです。

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2008年11月19日 (水)

ボーイズビーアンビシャス3

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旧島松駅逓所(国指定史跡)  1873年(明治6年)建造

写真  日本建築学会北海道支部昭和50年9月30日発行
     北海道の建築1863-1974

参考までに札幌観光で有名な時計台は、1878年建造。
時計台の設計はホィーラー・開拓使。

 開拓時期に、クラーク博士や酪農の父エドウィンダンなど外国人技師を
招いて北海道の礎を造ろうとした延長線上から、未だ開発途中の様な
北海道の現状は何とかしなくては成ら無いと思います。
 素晴らしい北海道に暮らして、北海道の可能性を感じていますが・・・。
今こそ全道民で、ボーイズビーアンビシャスです。

以下北広島市ホームページより抜粋しました。http://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/pro/city/history.html

駅逓は、駅舎と人馬を備えて、宿泊と運送の便をはかるため設置されたもので
開拓期の北海道で重要な役割を果たしました。
 島松駅逓所は明治6年、札幌本道(現在の国道36号)の開通に伴い設置され
たもので、明治17年からは市内の島松に入植し、寒地稲作の父とうたわれた
中山久蔵が経営にあたっていました。
 この駅逓所は、クラーク博士が帰国の途中に立ち寄り「青年よ大志をいだけ」
という名言の舞台となり、また、明治14年には明治天皇本道ご巡幸の際の行在所
ともなりました。
 昭和59年国史跡に指定され、当時の駅逓の構造を残す建築物としては道内
最古のものです。

・所在地:北広島市島松1番地

・開館日:4月28日~11月4日まで

・会館時間:10時~17時まで

・休館日:月曜日、祝祭日の翌日

・入場料:小・中学生 100円 (70円)、 大人 200円 (150円)
  ※( )内は20名以上の団体割引

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2008年11月17日 (月)

ボーイズビーアンビシャス2

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 先日の、ボーイズビーアンビシャスの場所は旧国道36号線の島松沢です。
 私が子供の頃、苫小牧から札幌までの舗装された、この道は弾丸道路と呼ばれていました。
それ位早く走れる道路でしたが、ここ島松沢は最大の難所で大型トラックが黒い煙を吐き出して、何時も渋滞していました。
 今では、橋が掛けられてルートから外れてしまいましたが、幾つかの史跡が残っています。

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2008年11月15日 (土)

ボーイズビーアンビシャス

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青年よ大志を抱け。

あまりにも有名な、この言葉は北大構内や記念碑の立つ羊が丘でもなく、この場所でクラーク博士が学生達に告げました。

さて、ここは何処でしょう。

何回かに渡ってこの場所のご紹介をしたいと思っています。

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